工作少年の日々−森博嗣

エンジニア(というよりは大学の準教授?)ということもあって、軽妙な文章の中に、ちょっと惹かれる文章があったりする。

「文字読み without 読解」は某ブログで月100冊とか500冊本を読むという記載があって、それだと一日3以上。中身ぺらぺらのビジネス向けハウツー本なんかで、時間制約もそれほどなく、何も考えずに読むならいけるかな〜と思ってたのにマッチしたのと、実際その個所を読んでて「細かなことはいいか」と思った矢先の記述だったので、この作者頭いいなぁと思った次第です。

「忙しさとは」から

忙しさというのは、結局のところ、「忙しく」見せかけて、「やりたくないこと」から自分を防御するための偽装にすぎないのでは、という気がしてならない。

忙しさは、あくまでのその個人が望んでいる状況、甘んじている状況なのであって、大勢で共有したり、他人に強要したりするのはお門違いである。

「適材適所」から

もうこのあたりで、文章の文字だけを追い、内容を頭に入れることを放棄しようとしている人が少なくないことと思う。『小説すばる』の読者にそういう人が多いなどというつもりはない。『小説すばる』の読者にも、少しくらいは、そうじゃない人もいるだろう。きっといる。いるかもしれない。いたら嬉しい。でも、ちょっと諦めている。
そういった「文字読み without 読解」という現象は、速読の弊害であろう。実際には目が疲れるだけで、何のメリットもない。

「設計図どおりにいくか」から

実物があれば、実際に作動している見本が存在するわけだから、上手くいかない場合には自分の作ったものが悪いという確信が持てる。この差は極めて大きい。上手くいくものと、上手くいかないものを比べ、どこが違うのか、何をどう間違えたのか、という考察に集中できる。そうしていくうちに、「そうか、ここか!」という部分が必ず見つかるだろう。それがすなわち「ノウハウ」というものの真髄であって、技術の核心なのである。